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Aburi JAPANの軌跡 ー序章  Aburiのはじまりのはじまり ー

日本の宮崎の串間という過疎地に生まれた僕にとって人生の選択はたった一つだった。

 

中学を卒業して名古屋に野球留学した理由の一つはそんな田舎がとても退屈に思えたからで、怖かった父親からも離れたい一心と重なって一切躊躇することはなかった。

そうして家を飛び出したものの昔ながらの寿司屋の長男に生まれた僕の人生の自由は、
3兄弟の長男に生まれた宿命と、両親を、特に母を守らなければという見えない鎖で縛られていた。
それはそれでいずれ来る自分の運命と割り切ってはいたものの、
世間を知れば知るほど、自分の人生を生きたいという本能は際限なく溢れてくる。自分の人生(やりたいことと)と、家業の跡をとること(やらなければならないこと)の狭間で葛藤していた。

 

学生時代はプロ野球選手になることで自由を得ようと目論んだのだが、
早々に現実との乖離に挫折した僕に、その後その鎖を破って自由を得る程のやりたいことはなかった。

 

ジャズシンガーも目指した。
楽しかったけど面白くはなかった。
何かが違った。

 

結局僕は、ひょんなきっかけで自分の人生を生きる意志とともに自ら、
この一つしかない選択肢を選んでこの世界に入った。
両親を助けるというわけではなく、たった一つしかない選択肢を自分の意志で選んだ。
20歳での決断は結果幸いした。
父の病により僕は22歳で事実上経営に携わることとなった。
倒産寸前の財務状況であったけれど、僕には希望しかなかった。
それから紆余曲折を繰り返しながらも順調に発展し10年でそれなりの企業に成長させることができた。
母には「親孝行」と言われるのだけど、実感がない。
正直なところ、自分のやりたいことをやった結果、
「親孝行できている」のであれば幸いなぐらいにしか今でも受け止められない。

だから家業を守るなどという気持ちは全く持てなかったし、実は今でも執着していない。

 

自分の意志で選んだ仕事、毎日が面白くて生命が躍動した。

でも没頭すればするほど物足りなくて、
なんか違う気がしてきて、と同時に、この業界の行く末が見えてしまって考え方が変わっていく。

初めて海外のレストランを目の当たりにした時、僕が信じてきたそのあるべき姿はいい意味で崩壊した。

簡潔に言うと、「お客様に頭を下げる仕事から’、お客様に感謝される仕事であるということへの転換」

怒られないためには働くのではなく、驚きや感動を与え、逆にありがとうと言われる仕事であるということ。

心が震えた。25歳だった僕はいずれ必ず世界に羽ばたくと心に誓った。

 

そして時が熟した31歳で、「これからは世界だ!目指すはグローバル企業だ!」と、決起した。
コネクションがあるわけでもないのにカナダに渡り、
2009年のリーマンショックで世界が激動した中バンクーバーに起業した。
この時多くの知人は「僕が大失敗する」と、
「若気の至り」であると推測して話のネタにしていたらしい。
それは決して間違いではなく、棺桶に片足突っ込むかもしれない状況に追い込まれたのも事実。でも、自信はあった。
そうした声にハングリー精神を燃やすなどという感情は全くなかったけど、
結果、そうした一般的な考え(外野の声)を覆してサプライズを起こしたことには、
何事にも代え難い爽快感を感じる僕がいた。

 

またそうした苦難を遭遇することは悪いことばかりではない。簡単でないことは面白い。
なんて、、、本当に笑えない時もあったけど、
今ではその時の経験が新しい力をくれたことに喜びを感じている。
不安に打ち勝つには、自分自身が進歩することしかないことを知り、
学生時分は野球に打ち込み使わなかった脳みそを使う機会を与えられ、
自分の可能性を際限なく極限化することで人の想像を超える結果を創出し、
そして今ではカナダでは知る人ぞ知るAburi Brandを打ち立てることができている。
完全なるバリューイノベーションをマーケットに起こした。
前述したが、人の想像を超えることは本当に僕の人生観であって、
実現した時のその爽快感は僕に新しい力をもたらしてくれる。

 

そして今僕はさらなる爽快感を求め、
世界初グローバルレストランブランドを創るという壮大なビジョンを掲げた。
カナダに次ぐ拠点としてAburi Restaurants Japan Ltdを立ち上げ、
新たなブランドを誕生させ、それを世界に広げていくことを今は想像している。

 

「なぜスタートがバンクーバーであったか?」
これまで何千回と質問されてその度に答えることが面倒になってきているのでここに記すとします。

1つはフィーリングとインスピレーション。
すごく気候のいいタイミングで清々しく、多様な人種が共同していてその光景は単一民族の中に
あって認識している僕の当たり前を刷新するにはもってこいであったこと。
また僕の想像するグローバルブランドのイメージが街にあふれていたこと。
また、不思議に僕自身がそこに存在しているイメージが湧いたのも大きかった。

2つめはビジネスチャンスを感じたこと。
起業に関してはクリエイションか、イノベーションのタイミングを逸しないという持論があって、
すでにピザ屋より多い数の日本食が点在するバンクーバーでは、
寿司が完全にコモティディ化してて、
新しいアイデアを導入するにはもってこいのタイミングだった。

もともと僕が海外に起業したいと決意した理由は、日本国内でのブランド創造ではなく、
グローバル規模でのブランド創造に夢を描いたからであり、
だから出店することや移民することが目的ではなく、
企業として会社を作ることを最初から目的としていた。
だからブランドを創り、醸成するアイデアが必要だった。

その原石となったのがAburi Sushiというブランドコンセプト。
炙り寿司そのものはどこにでもあるものだけど、
Aburi Sushiは単なる炙り寿司とは異なるものだ。
どんな困難に陥ってもこのアイデアだけを信じて、
北米で必ずブレイクアウトすると信じて海を渡った。

また、日本とカナダを行き来し、言葉も通じない上に慣習も異なるためにどうしても現地に通じたスタッフに頼らなくては

ならなかったのだけど、その結果、落とし穴にはまったりと、生きた心地もしない日々を送ったこともあった。
それでも信じたアイデアと、失敗という経験から多くを学び、
今こうして、カナダでは名の知れたブランドを作ることができている。

その経験は僕自身の未来に可能性を見出し、チームに希望をもたらした。

 

今現在カナダに4店あるレストランは、どれも現地では有数な名店として人気を得ており、
ブランドチェーンでありながら細部にオリジナリティがパフォーマンスされる。
グローバルアイデンティティを持ちながら地域のスタイルに変えていく新しい形の
未来型レストランブランド企業だ。

そして、僕たちTeam Aburiはこれから日本のレストラン産業に大きなイノベーションを興す。

疲弊しきったこの日本のレストラン業界の惨状に希望を見出し、
ビジネスチャンスを創造していく。
Aburiはカナダでは北米スタイルに日本のエッセンスを入れることで国家を超えた独自の文化や価値観を
創ることができている。
まだ完璧ではないけど、そのポテンシャルがビジョンにつながる。

日本に点在する問題は解決できないと思い込んでいる面が強く、
固定観念を払拭し臨めば変えれるところがたくさんある。思い込みは最大のリスクを醸成する。

ちなみに僕はカナダで、現象だけではなく本質を伴ったグローバル企業として在り方を見出し提案したのだが、
カナダにいると「それは日本的ではないか?」と言われ、
日本に帰ると「それはカナダのやり方で日本では通じないのではないか?」と言われた。
まるで映画「ターミナル」のトムハンクスのような状態になった時期もあった。
それでも今は双方のチームが国境を越えAburi Brandのもと価値観やビジョン、経営戦略を
共有している。それぞれの国の文化や習慣の良いところを引用して、革新すべきところを革新していく。

そうしてAburi Brandのアイデンティティはグローバルブランドとして醸成されていく。
僕はこの壮大なビジョンが現実に実現するイメージを今、鮮明に持っている。

 

僕がイノベーションを画策するときに絶対考えること、
「それは誰に喜びをもたらし、自分たちとこの世界にどれだけの希望を見出すのか?」
そうした気概がないと面白さ(やりがい)が生まれてこないのが僕の性分。
だから、そうした情熱は内に秘めて実現を目的に勇気を持って臨む。

 

だからこの新しいチャンレンジにおいても、その思いなのだ。

 

それでは、ブログAburi Restaurants Japan Ltdの軌跡の幕開けです。
これからAburiのアイデンティティとともに、
ファストカジュアルコンセプトでは初のMade in Japan Brandを
東京から誕生させて世界に発信するMarukatsu Brand、
Marukatsu(まるかつ) Shokudo1号店グランドオープンまでの40日間をつづっていきたいと思います。

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